評論 川本真琴 雨に唄えばについて

「地球は雨 何万トン? 夏はまだかいなぁ」

単純に考えると、季節は梅雨。
夏を待ちわびるシーズンの歌だ。

梅雨は日本特有のものであるのに、地球は雨と表現している。
ここでいう地球は、自分の周りの世界ということだろう。
他は無視! 自分の周りのみを世界と認める。そういう姿勢だ。

「工事中の 核シェルター ただの水たまりさぁ」

金持ちが自分の身を守るために金かけて作っているものが、
ざらしになっていることに喜びを感じる。
人間の通常の反応だ。

「ぴっちちゃっぷ ラッタッタ カモーン カモーン カモーン」

激しく雨を楽しんでいる。雨によって通行を妨げられるサラリーマンらを見て
大いに楽しんでいる。雨による損害を受けていないからこそ、
損害を受けている人たちを見て、雨を楽しんでいる。

雨だろうと、その雨を充分に楽しもうじゃないか。
晴れの日には出来ないことができるんだから、
そういうことやらなきゃ損だよ。
傘に当たる雨音を楽しもうよ。
水たまりを踏んだ時に飛ぶ水しぶきを、その音を楽しもうよ。
ほらほら、何であんたたちはこの雨を楽しもうとしないんだい?


次回に続く(予定)


この論は

夏を待ちわびているようでいて、この季節に彼氏と過ごすことを楽しんでいる。

その先の隠された意味の読解に繋がる予定です。

ちなみに隠された意味についてはまだ何も考えていません。
後で勝手に深読みしてこじつける予定です。