昔書いた家の間取り

 ふと思い出した。高校の時、技術の時間に理想の家の間取りを書かされた。設計っていえば良いのか。窓とかドアとか階段とかの記号を教えられて、敷地と家の広さを決めて、それ以外は自由に書かされた。今思えば非常に下らない間取りを書いた。できるだけスペースを生かすように・生活しやすいように、利便性を考えて書いたはずなのに、利便性の優先順位を考えた上で、合理的に間取りを書くことなんて出来なかったから、結局住みにくそうな家しか書けなかった。で、思った。「自分の住みたい家」を書く上で、何で僕は子供部屋を自分の部屋にしてしまったのだろうか。親にあんまり干渉されない様に、すぐそばに玄関・トイレ・ダイニングがあったら便利・できるだけ広く、なんてことを考えて、子供部屋を設計した上でその周りに他の部屋を配置して家を設計すると、めちゃくちゃな家が出来上がる。子供のために設計したのに、子供にとっても住みにくそうな家だった。やはり自分が子供部屋に住むことを想定し、それを中心に設計なんかしたせいだ。自分が主になったつもりで、子供のことなんかそっちのけで設計するべきだった。


 今の僕ならばもっとオーソドックスな家を書く。優先順位の中に「もしも売却することになった場合のことを考えると、色物物件よりも一般的な家のほうがマイナス要素が少ない」や「8畳以上ある部屋なんか必要ない」あたりが入ってくる。
「自分の住みたい家の設計図を書いてください」っていう質問をして、自分の住処を子供部屋にした人はまだまだ子供ってことだ。
「自分の住みたい家の設計図を書いてください」って質問して書いてもらった設計図からいろいろなことが分かりそうだ。
母親の部屋を大きくとったり自室の近くに書いたら マザコン とか
キッチン小さく書いた人は 料理苦手 とか
ってことで不動産シミュレーションゲームなんかやってると未だに自分はガキだと思うわけである。