思った。

伊集院光は少年期のブラックのせいで、
太田光は高校時代のブラックのせいで、

今の性格が成り立っている。
しかし、未だにすべてを吐き出していないとおもう。

だからあんなに尖っているのだ。

僕は自己分析という言葉が嫌いだ。心理学とかも。嫌な気分になるだけだから。
ああいうものって性格がまっすぐな人以外嫌な気分になるように出来てないか?
でもってそういう人って、いい父母と友達を持って、真面目に勉強して恋して目標に向かって生きてる人ぐらい。父親が腐ってたり友達が腐ってたりすると、おそらく捻じ曲がる。
どんなに良い人に対してでも疑ってかかったりしないとダメになる。でもって良い人を疑ったことに嫌悪する。

どんなに嫌な奴でも、そいつの過去が不幸なら多少は同情するような、かといってDQNの子はDQNって決め付けてそこで結論出したり。


自分で言うのもなんだが僕の性格は曲がってる。他人はとにかく疑う。親戚も信用しない。昔恩のある親戚でも。僕には親しくなるためには話さなければいけないことがいくつかあり、それを話さなければそれ以上親密にはならない。でもって簡単には話さない。中学高校時代同級生の誰にも話さなかった。高校時代部活のOB3人だけに話した。大学時代は5人位。
「話さなければいけないこと」って僕が思っているほど重いことではないと分かってる。
似たことをしゃーしゃーと話す人もいる。だが僕には無理だ。もしも信用した人に話し、それを裏で笑い話にされたら僕はどうすればいいのだ。もし話したことでその人が僕を憐みの目で見始めたらどうすればいいのか。相手が反応することが怖いのだ。世の中真人間ばかりならいいが、僕以上に捻じ曲がった人がいくらでもいる。だから他人を信用しない。


ここまで言っておいて、僕の信条は「殺身成仁」(身を殺して仁を成す)だ。論語の言葉。
広辞苑をひいてる時に見つけた。義のために命を犠牲にするっていう感じの意味。
僕の捻じ曲がった性格を見れば他人は「身を殺して仁を成す」なんてちゃんちゃらおかしいと考えるだろう。僕が逃げる姿を見たことある人もいるし。でもでもでも僕は自分の命を捨てでもしなきゃいけないことが今後あると思っている。そんな時に惜しげもなく命を捨てたい。そんな時に命を捨てた僕なら、みんな信用してくれるだろう。死んじゃったあとだけど。



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だいぶ病んだな。