完璧な絶望

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

風の歌を聴け (講談社文庫)の冒頭より。

久しぶりに読んだときに1行目から打ちのめされた。「完璧な絶望は存在しない。」僕も激しくそう思っている。まさか村上春樹のデビュー作の1行目で既に書かれているとは思わなかった。「完璧な絶望が存在しないように、完璧な文章などといったものは存在しない。」という意味の文章で、文章のメインの部分は、「完璧な文章などといったものは存在しない。」であり、「完璧な絶望は存在しない。」は文章の飾りでしかないが、「完璧な絶望は存在しない。」は真理だ。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
という文章を成立させる為には「完璧な絶望は存在しない。」を論理的に証明しなければいけないのだか。

「完璧な絶望は存在しない。」
僕がこう悟ったのは高2の時、病院のベッドの上だった。その直前まで絶望感に襲われどうしようも無かった。詳しく書く気はないが自分の絶望の深さが意外に浅いものだと分かった。人それぞれの絶望の深さはまちまちだが、自殺して良い深度は物凄く深いはずで、そこに達するのは容易なことじゃない。おそらく、物凄く浅いところで絶望の深さを他と比べることもなく、世界中で自分が一番不幸な気分になり、自ら命を絶つ奴がいるよう。深夜の深い時間に深いところで待っているドリアン助川みたいな人間がまた必要な気がする。