ドキュメンタリーの傷

 数日前のことだがなんとなくテレビを見てた。流れていたのはとある問題を扱ったドキュメンタリーだった。ふと僕の目に見知った風景が映った。そして気が付いた。映っていた車の進行方向と行き先(風景)が違う。A地点からB地点に行く場面なのに全く逆のB地点からA地点に向かう映像が挟まれていたのだ。その瞬間からその番組を穿った目でしか見られなくなった。そんなふうに見始めるとその番組の扱う「問題」というのが一方的な視点でしかなく、取材者も相手の事情も考えずに非難しているようにしか見えなかった。
 高校生の時のことだが国語の副読本の文章を読みその感想文を書かされた。その文章はとある西洋の国で起こった虐殺に関する文章だった。教師の書かせたい感想文は予想が付くのでその予想通りに書き始めた。途中でその文章に必要の無い断片があることに気が付いた。その虐殺の酷さを演出する為に必要の無い証言が挟まれていた。その瞬間からその文章を穿った目でしか見られなくなった。真実を伝えたいだけならなんでこんな文を交ぜたんだろうか。戦争の抑止を訴えたいようだがただ単に虐殺した国の糾弾が目的であって他者への思いやりという点では文章を書いた人も落第点なのではないだろうか。今まで書いた感想を消しそう書いてみた。数日後返ってきた感想文には教師によって文章の主旨を理解しなさいと書いてあった。
 もう一個書こうと思ってたのに書いてるうちに忘れた。なので万が一ここまで読んだ人がいるのならもう一個なんか文章があるってことで脳内補完しておいて下さい。しかも忘れた割には3番目で結構重要な位置を占めるはずのものだったのでなんとなくイメージで膨らましておいて下さい。ちょっと先にメモしておけばよかった。
 結局僕が言いたいのはね、色鉛筆の白って使わないね。(出展:つぶやきシロー